今日は日本最初の喫茶店がオープンした日

2010.04.13

今日は日本最初の喫茶店「可否茶館」がオープン  した日です。「可否茶館」は明治21年4月13日、下谷西黒門町二番地に鄭永慶によってオープンしました。現在の台東区上野1-1-10 三洋電機東京ビルのあるところで、中央通り沿いの北東の角に碑が立っている。
 これは、いなほ書房星田宏司氏らの「可否茶館記念会」のメンバーや三洋電機の尽力によって建てられたもので、毎年この日、喫茶店の日として記念会が開催されている。今年は私も参加させていただいた。 

彼の地でのカフェが時代を先取りしすぎていたのか、開店以来赤字続きで、開店して4年後に。「可否茶館」は閉館。鄭永慶は心機一転、シアトルで仕切り直しをするべく渡航するが志半ばにして亡くなる。

 鄭永慶の波乱に満ちた生涯や「可否茶館」については、星田氏の著書に詳しい。

現在の日本中あふれているスターバックスをはじめとするシアトル系のカフェの隆盛をみたら、鄭永慶はなんというだろうか。

鄭永慶は、鄭成功の末裔とかで、今も鄭一族の血脈は脈々と続き、今日の記念会にも来られていた。

私が研究している明治の輸出磁器の最大手であった森村組(現ノリタケカンパニーリミテド)を創立者森村市左衞門と一緒に盛りたてた大倉孫兵衛は実家が日本橋の錦絵の版元。明治10年、上野で開催された第一回内国勧業博覧会でも安藤広重(三代)に、全国物産図絵を描かせて会場でお土産として売っている。今日はこの記念会に出席して、明治のころの上野や日本橋、そして可否茶館の賑わいなどを思い浮かべて、楽しい時間を過ごした。