新マザランチェストとマリアファンディーメンの箱

2013.06.13

そして再びマザランチェスト。上が私がV&Aで撮影したマザランチェスト。下が今回の発見されたマザランチェスト、この二つを見ると類似性と相違点がよくわかります。
どうして、私や多くの方々が今回の発見に興奮しているのか?落札高だけではありません。

 新マザランチェストは1916年にサー・ローレンスがファン・ディーメンの箱と共に所有していました。ファン・ディーメンの箱はマザランチェストと共に輸出漆器として最も有名です。

この箱の裏蓋にあるマリア・ファン・ディーメンとは1636-45年にヴァタビア総督をつとめたアントン・ファン・ディーメンの妻の名前です。彼女は1630年にアントンと結婚し、1645年に死別し、つまりファンディーメンを名乗ったのは1630-45年の間だけで、かつその後の調査によりアントンの部下の妻が所有した類似の箱から制作年は30-39年と推定されます。
そのことによりこの箱が他の南蛮漆器の様式や制作年を推定するのに指針となります。これらの最高水準の蒔絵を注文できた平戸オランダ館長カロンは家光とも良好な関係を築いていたのではといわれています。
 また、ファンディーメンの箱は1777年の旧蔵者の一人の売り立て目録にポンパドール夫人旧蔵とあります。
 そして、V&Aは第三、第四のマゼランチェストの部分ではないかといわれるパネルの部分を所有しています。

日本からオランダ東インド会社を経てヨーロッパに渡り、その後フランス、イギリスなどの貴族の所有となった経過やその後の作品の調査が日本の南蛮漆器の歴史とヨーロッパの日本の蒔絵に対する憧れを明らかにしてくれます。その歴史を振り返ると、きっとフランス、イギリス、オランダなどどの国の博物館も今回落札したかったに違いありません。