金の魅力―赤塚自得の桜花蒔絵硯箱

2012.01.07

金の価格が上がっている。私がここしばらく、お話を聞いたり、取材させていただいた工芸家の先生方は、代々の仕事を継いだり、これまでにある程度キャリアを構築されてきた先生方が多いので(漆芸の三田村有純先生、西塚龍先生、林暁先生、陶芸の武腰一憲先生、截金砂子の月岡先生など)、金の価格が上がったからといってばたばたとなんとか手を打って少しでも多くの金を安く買わなければならないということはないだろう。ある程度金も含めた材料をすでにおもちのことが多い。

しかし、きっと、絵画や工芸で金や銀を使う学生はたいへんだろう。

これまで銀を使っていた学生は他の安い金属で、金を使いたい学生はやむを得ず銀に変えるということもありえるだろう。

もし、値段を気にしないでいいのならやはり金を使いたいと思うこともおおいにあるにちがいない(もちろん、光悦の八橋硯箱のようにあえて鉛を使うというように他の金属を使うという場合もあるとは思うが)

金の魅力はあのなんともいえないねっとり感にある。これにかなう金属はない。

写真は近代の漆芸家赤塚自得(七代 1871-1936)の桜花蒔絵硯箱。蓋表面全体に高蒔絵で八重桜が描かれている。これだけ豪華に金を重ねても、品位を全く落とさず、優美に典雅さを保つところに赤塚自得の技が光る。しかも今見ても古さを感じさせないというか、時代などすでに超えた意匠の妙である。

日本人は着物や帯に金糸や銀糸を織り込み、髪に珊瑚のかんざしなどはさしたものの、他の国のように首飾りやイヤリング、指輪といったアクセサリーを身に着けない民族だった。そのかわりに身の回りに置く硯箱や違い棚そういった工芸品に惜しむことなく漆を用いて金を蒔いた。

身に着ける金のアクセサリーも欲しいし、こういった古い金の蒔絵を用いた工芸品も所有したいと思うのはきっと身の程知らずの贅沢にちがいない。

もしどちらかを選べと言われたら、やっぱり私は工芸品を選ぶだろうなあ。なぜならアクセサリーは飽きるかもしれないけれど、これらの工芸品はきっと見飽きることなく、また次の世代に伝える価値があると思うからである。