日本の工芸を大事にするということ

2012.01.17

写真は、機内ででるビジネスクラスの食事ではありません。先日木工芸家の須田憲司先生のご自宅を訪れたときに出してくださった先生と奥様の手作りの昼食です。

取材で訪れることをお願いしたら、お昼を用意しておくのでといわれ、ご自宅の近くのファミリーレストランなどに行くのかと思ったら、先生と奥様がご用意してくださっていたのです。

このお弁当の前に出てきた先付が乗ってた小さな盆のようなものは季節に合わせて、羽子板の形をしていたが、これが先生のお父様である須田桑翠先生が作られたものだという。シミでもこぼしたら大変だとお皿をあわてて盆から外したのであるが、この盆の按配よさ。

地方のお土産屋さんにいくとよくこうしたものが売っていたりするが、実はその土地に育った木ではなくて、東南アジアの木に加工も中国あたりだったりする。そういうものを安さに惹かれて手に取ると木工には素人の私でもすぐわかるぐらいざらざらだったり、毛羽立っていたり、塗が甘かったりする。安さに負けて買っても結局使わず台所の戸棚のどこかに忘れられる。安いことが悪いのではない。東南アジア製だからいけないのではない。工芸品=産業品=雑なのだ。
反対に、この須田桑翠先生の作品。まさに名人の技。私の写真が下手なせいでよくわかってもらえないことが情けないが、主張せず、使いやすそうで、丁寧な仕事。

しかし、木工芸家として須田家が代々大切にして来た、たとえば御蔵島の桑なども関東大震災、東京大空襲でそのほとんどが燃えてしまったとか。
今日は1月17日。17年前の今日、私は芦屋にいて震災にあった。芦屋でも神戸でも洋館や伝統的日本家屋など失われたものが多くある。3月11日の東日本大震災の津波でもっていかれたものはさらに被害が甚大である。

日本人は、幾度となく台風、地震、津波といった天災の前になすすべがなく打ちのめされた。それでもまた力を振り絞って再生しようと努力し、そういった歴史の中で、自分たちで工夫しそれが職人技となっていった。
とりあえず木を探してきて、組んで、柱を建て、障子を張り、壁を塗って、余った木で薪を作りご飯を炊いた。

客をもてなすときに家で接待する。庭に木を植える。お皿がかけたら自分で継ぐ。そんな手仕事の延長が日本の工芸の本質であるような気がする。面倒がらずに手を使う。

今年は須田先生のように器用にはいかないけれど、もうすこし、せめて料理をさぼらずにやってみよう。それから、割れているので使っていなかった漆の合腕を自分で継いでみよう。