eveningがない

2011.06.08

昨日来の原稿も昨夜でめどがたち、気分的に楽。

しかし、一日中原稿を書きながら思ったのが、今私のいる東京ではeveningがないということ。英語の

eveningはOEDによると、古いゲルマン語のaefungという日没に近づいていくという意味からきているそうだけれど、東京で日没に近づく時間をいうのを感じられる時がほとんどない。

イギリスのオックスフォードに住んでいた時、5-6月ごろは、夜の10時ごろまで空が明るくて、論文を書いていると、つい夕食の時間を忘れることがあった。日が沈むのが遅いからついいつまでも夕方だとおもってしまう。
また、友達と外で食事をとるときはレストランの中ではなくて、外に席を取ると、いつまでもしゃべっていて、暗くなって気が付くと夜の11時前ということがよくあった。

私が好きだったのは、運河沿いのトラウト・インというパブ。

まだお昼間といえるほど日が高い午後4時すぎに席に着いて友達としゃべりながら、ぬるくなったギネス飲み、10時過ぎに運河の向こうに日が沈んでいくのを見ながら、eveningという時間がゆっくり過ぎていくのを楽しんだ。

東京にいると、eveningは午後の続きか、夜の準備でしかない。

イギリスにいると(たぶんどのヨーロッパでも)、自分のエネルギーの3割は確実に、「手紙が届かない」「電話がかからない」「洗濯機が壊れた」「自転車が盗まれた」などといった処理に追われる。そしてほとんどの場合、らちがあかない。なんども、頭の血管がキレる!と思うぐらい担当者と喧嘩をした。そして最終的には何の連絡もなく、突然に復旧したり、紛失したはずの郵便が届いたりした。

それでも、やっぱりあのゆっくりした時の流れ、、eveningがすばらしく豊かな時間だったことを懐かしく思う