日本で最初の喫茶店「可否茶館」を開いた鄭永慶 シアトルに眠る
2011.07.26
明治21年、日本で最初の喫茶店「可否茶館」を開いた鄭永慶は今シアトルでもっとも有名な墓地Lake View Cemeteryに眠る。すぐ近くにブルースリーの墓もある。
鄭永慶は鄭成功の子孫で、父は明治維新後北京代理大使も務めた鄭永寧。永慶も外務省・大蔵省で勤務した。しかし、鄭永慶の喫茶店の理想は時代がまだ許さず、彼は夢破れて、シアトルに出奔した。彼は正式なパスポートを持たず、西村鶴吉の名で密航し、シアトルで亡くなった時もその名前で葬られた。しかし、「可否茶館」の歴史を調べ、出版したいなほ書房の星田宏司氏、その本を読んだ野口孝志氏、斉藤孝治氏や、鄭家の子孫の方々の努力が実り、シアトル側でも横田亘生氏の綿密な調査が続けられた。そして2年前に、みんなの願いがかない、墓碑銘が西村鶴吉から本名の鄭永慶名のプレートへと変わった。そして今回鄭家の子孫の方々と日本コーヒー文化学会常任理事の狭間氏やカフェとコーヒー調査をかねて、鄭永慶の命日の墓参が可能となった次第である。